草と暮らす 第二回 草たちの冬 草藁 稻藁 麦藁

2014年が始まりました。 今年は元旦が新月で、しかも新月最大のピークの時間が20:14、という奇跡のような数字の一致で幕を開けましたね。 いかがお過ごしだったでしょうか。 旧暦では新月が朔日(一日)なので、今年の1月1 […]

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2014年が始まりました。

今年は元旦が新月で、しかも新月最大のピークの時間が20:14、という奇跡のような数字の一致で幕を開けましたね。

いかがお過ごしだったでしょうか。

旧暦では新月が朔日(一日)なので、今年の1月1日は旧暦では12月1日、お正月は今月の31日になります。最近は私も旧暦で動くことが多いので、もう一度のお正月を楽しんでいます。七草などは当然ながら、そのほうがピッタリと出揃いますしね。

さて、冬至を過ぎ、太陽の力は増してきましたが、草たちはいよいよ地上部を枯らし、これからの寒さへの準備をしています。

日頃、草たちには大変にお世話になっています。食として、染めとして、糸として、道具として、そして、ネコと遊ぶおもちゃとして……。

いつもは元気のよい時季に伸び盛る緑の草を使わせてもらっていますが、草たちは枯れてなお、わたしたち生き物たちのために役にたってくれていることを、この時季知らされます。

植物たちの乾いて枯れた様子はさみしいとも言えますが、どこかほっこりと、落ちつきのある暖かさを持っているようです。

やがて大地という母なる場所へ還っていく、その時を感じ取れるからでしょうか。

うちのネコさんは草藁が大好き。枯れた草をまとめていた場所に、素敵な草藁のベッドをつくり、お昼寝はそこで幸せそうにしています。

この前は裏の山を歩いていて、鳥の巣を見つけました。中を覗き込んでみると、枯れた草の繊維や葉っぱが上手に使われて、ここちよさそう、ヒナたちも安心して育つでしょう。枯れた草たちは安らぎを与えてくれるものでもあります。

藁はその代表です。

藁には稻藁、麦藁があります。どちらも人が栽培管理し育てた穀物の脱穀後の茎葉です。

そしてもう一つ、草藁。これは野生の植物の枯れたもの。

人は長い間、それらを有用なものに作り替える工夫をしてきました。今回は草たちの冬を観るにあたり、藁をちょっと振り返ってみようと思います。

鳥の巣を見つけました

◯稻藁

稻藁は稲作文化が始まった頃から、アジアでは生活のすべてに使われてきました。

特にこの国では、畳、屋根、土壁、俵、紙、蒲団、藁靴、草履(ぞうり)、外套(がいとう)、籠、納豆の苞(つと)……等々キリがないほどで、建築資材、道具類、衣類などの生活必需品から注連縄(しめなわ)などの神さまへの捧げ物まで、俗から聖を通して生活全般にわたり、稻藁を駆使した、見事にサスティナブルな藁文化を極めてきたのです。

今年の玄関お飾りです

残念ながらわたしたちの暮らしは大きく変わり、日常で藁に接する機会はなくなってしまいましたが、私の周りでは、年末は注連縄を自分たちで作る人が増えてきました。ここ湘南のはずれではわずかですが田んぼをする人たちが増え、無農薬のその藁をいただくことができるのです。私も今年は自分で田植えした稲から取れた藁でお飾りを作りました。日常での藁の出番は畑の肥料くらいしかありませんが、こうして神さまごとだけでも藁と繋がっている暮らしは、なにか満ちるものがあります。

みんなで藁縄を編みました

◯麦藁

友人でヒンメリという麦藁のモビールを作る人がいます。ヒンメリは北欧フィンランドの伝統的な飾り物であり、注連縄と同じく神さまと結ぶよすが。神さまといっても唯一神ではなく、日本と同じように、風土のなかに宿る自然神。アニミズムの文化のなかで、天体の運行に添い、冬至を祝う喜びの形としての飾り物です。

稲文化の私たちが、稻藁で神さまと繋がるように、麦文化の人たちはそれを麦藁でつくる。

その形は息を飲むほどにうつくしい。日本の地ではなかなかそれに代わる形のものはありませんが、どこか人類共通の記憶を含んでいるようにも感じるのです。

麦藁は他にストローハットつまり麦藁帽子にも使われています。

 

おおくぼともこさんによる麦藁ヒンメリ・ワーク

◯草藁

身の周りには枯れてから素敵な素材になってくれるものもあります。生きていた頃のグリーンのピチピチの性質とは違う、なれた風合いは扱いやすく、落ちついた空気感をはらみます。

冬枯れの、草のない時季には山茅を採取に行き、それを織っていたものでした。タペストリーやランプの素材として魅力のあるものになってくれました。

先日沖縄の宮古島に行ったときは、オバァに月桃の茎で編む袋や、干したチガヤを束ねてつくる籠をおしえていただきました。

草から立体の実用品が作れるのは、またワクワクする喜びです。

月桃の茎を繊維にしたもので編みました

長年、野生の草から繊維をとり糸にして草の布を織ってきましたが、このところは草そのものを次の形にしていくことがとても楽しくなりました。いよいよ草文化全般へと歩みは進んでいきます。

チガヤを束ねて綴じていきます

もしかしたらコットンも草藁に分類してもいいのではないでしょうか。

私が子供のころは蒲団といえば綿でした。それを打ち直して、またフカフカのお蒲団に仕立て直して大事に使うのです。

その昔は、農家では綿の代わりに稻藁のクズを入れた蒲団だったといいます。

藁の良い匂い、暖かく軽いものだったでしょう。今一番寝てみたい蒲団です。

綿も藁も草の蒲団ですね。

冬の間採取した山茅を織ってランプにしました

大量生産の工業製品を当たり前に使うようになってから、まだ100年も経っていません。

それ以前の人々は、何万年もの間、身の周りのすべてが否応なく自然素材でした。何という美しい世界だっただろう、と思いますが、苦しく辛いことも多かったでしょう。それゆえに、いったん化学製品が出回ると、あっという間にそうした文化は捨てられていきました。でもここまで進んできて、ほんとうに必要だっただろうか、というものの見直しが始まっています。

いったんすべてを壊してみて、やっとわかる、人類はそんな繰り返しでしょう。

でもまだ間に合います。少しでも自然の摂理に即した、軽やかな道を選択したいと思います。

藁でつくったタワシ 穂先でホウキを作りました

草たちから世界を観てみると、冬枯れの草からも、たくさんのことをおしえてもらうことができます。

冬の枯れ野、そこに身を置けば、時間がゆっくり流れ、なにかがほぐれゆく。

今はお休みしているけれど、次への胎動を内包している、今のわたしの状況とも重なるよう……。

自然界の営みは人のこころと身体とも直に関わります。わたしたちはそこから生まれてきたのですものね。

季節ごとのめぐり、それぞれの恩恵には、ただ感謝しかありません。

当たり前のように過ごしていることがもったいないくらいの、奇跡の一日一日。草との暮らしはさらに深まります。

草藁にゴキゲン、草ネコさん

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