自らワタを育て、紡ぎ、織る。
和棉の心をつないで30年、
鴨川和棉農園を訪ねる

「棉」と「綿」。同じ「ワタ」と読みますが、何が違うのでしょう。鴨川和棉農園の田畑健さんは、30年来日本の在来種のワタの種を集め、日本の気候風土にあったワタを育ててきました。「棉」は植物としての状態のワタを示し、収穫された […]

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「棉」と「綿」。同じ「ワタ」と読みますが、何が違うのでしょう。鴨川和棉農園の田畑健さんは、30年来日本の在来種のワタの種を集め、日本の気候風土にあったワタを育ててきました。「棉」は植物としての状態のワタを示し、収穫された種つきの状態までを木へんで表記します。棉から種をとって繊維の状態にしたワタを糸へんの「綿」と書きます。日本のワタ=和棉の生き字引的存在の田畑さん、メイド・イン・アースも10数年のおつきあいになり、これまでたくさんのことを学んできました。改めて田畑さんを訪ね、私たちの衣食住、その未来についてお話をうかがいました。

●衣食住を、自らの手を動かし得ること。

自らワタを育て…

田畑健さん。工房は地元の大工さんの手伝いを得ながら
半分セルフビルドで建てた



 

有機農業や地域コミュニティが豊かな地域として知られる千葉県は房総半島。田畑健さんが安房鴨川の高台にあるこの地に入植したのは1984年のことです。それまでは東京の工場で管理職として生産の合理化を担当してきました。大学時代は福祉を学んでいた田畑さん、経済成長と合理化が進む一方で障がいを持った方など弱者が社会の中で居場所を得られない状況に疑問を抱くようになります。そんなある日、田畑さんは道ばたでワタのドライフラワーを見つけます。

「最終的に私たち人間が自立して生きてゆくには、衣食住の自給しかない。“衣食住”という言葉では“衣”が最初にくるのに、私たちは自分たちが着る衣類がどうやってできているのかすら知らない」

ワタとの出会いから、衣食住の自給、とりわけ“衣”を追求していこうと心に決めた田畑さん。1981年、30歳の時に仕事を辞め、当時暮らしていた都内の市民菜園でワタづくりを始めました。3年後に、いまの農園のすぐ近所にある旧水田家住宅に移住。鴨川自然王国の故・藤本敏夫さんに誘われ茅葺き屋根の古民家を守りながら、この地で和棉の栽培を始めます。安房鴨川には藤本さんはじめ、反原発の市民科学者として知られる故・高木仁三郎さん、ベジタリアン料理研究家の鶴田静さんなど、オーガニックな暮らしを自ら実践し、時代のオピニオンリーダーとして注目される人々が次々と移り住んでいました。

 

ガラ紡機で紡いだ糸と布。 和綿独自のつややかな白が美しい

ガラ紡機で紡いだ糸と布。
和綿独自のつややかな白が美しい

日本のワタを求めて、すでに小笠原諸島や石垣島など日本全国を巡っていた田畑さんですが、鴨川に移って数年後、世界的なワタの産地であるインドに渡る決意を固めます。田畑さんはそこでインド独立の父マハトマ・ガンジーの「チャルカの思想」に出会います。チャルカとはインドで使われている糸車のこと。カディというインドの織物でつくった腰巻き姿でガンジーがチャルカで糸を紡ぐ写真を目にしたことのある方も多いのではないでしょうか。

「自分の畑でワタを育て、自分で糸を紡いで、自分で衣服をつくる。ワタづくりの農業を胴体に、手仕事の道具としてのチャルカを手足に、真の豊かさと自立を目指してゆく。これこそが、ガンジーがチャルカで糸を紡ぐことによって伝えようとしていたメッセージでした」

近代機械文明も、イギリスに始まる機械紡績、つまり“衣”から始まった、と田畑さん。搾取と貧富の差を生んだこの文明を、田畑さんは厳しく批判します。本当の豊かさとは何か? 人が生きる意味とは? 田畑さんは自ら大地を耕し、和棉を育て、糸車などの道具をつくって糸を紡ぎ、自ら織ることで、それを伝えようとしているのかもしれません。和棉の栽培指導とワークショップ、養鶏で生計を立て、自らの家も暮らしもすべて手づくりする田畑さんの生き方を慕い、日本全国から大勢の人たちがここ安房鴨川を訪れます。

●田畑さんの思いを伝える「有機十割和綿“わ”」

田畑さん自作の綿繰り機でワタから種をとる。

田畑さん自作の綿繰り機でワタから種をとる。

メイド・イン・アースが田畑さんに出会ったのは、いまから10数年前のことです。メイド・イン・アースのオーガニックコットン製品はすべて海外産の有機認証されたコットンが原料で、かつて日本でも綿が栽培されていたことを知ってはいたものの、現在もこうして栽培を続け、ワタ繰りや糸紡ぎ、織りの技術までを伝える田畑さんの存在に驚き、感動し、勇気づけられました。そして、ぜひ田畑さんの活動にかかわり応援をしたい、そして多くの人たちに和棉の存在を伝えていきたいと考えるようになりました。そこから生まれたのが、メイド・イン・アースと鴨川和棉農園とのコラボブランド「有機十割和綿“わ”」です。

素朴さとやわらかさ、そして独特の光沢感とふくよかな厚みのある布で、和棉を知り尽くした田畑さんが監修した最高の1枚です。しっかりとしなやかで、高い吸放湿性がある和棉の特性をよく生かして、一年中いちばん気持ちのよい状態で首回りをやわらかく包み込みます。

 

明治10年に日本で開発された「ガラ紡」 の機械を、田畑さんはここで再現した。 「自分がほしい糸をつくるには、機械の ことも全部自分でわかっていないとでき ない」

明治10年に日本で開発された「ガラ紡」
の機械を、田畑さんはここで再現した。
「自分がほしい糸をつくるには、機械の
ことも全部自分でわかっていないとでき
ない」

コットンは、その地域の気候風土に即した品種が育ちます。アメリカを中心に一般的に栽培されている米綿の特徴は、繊維が長く、クリームがかった色合いが特徴です。メイド・イン・アースでも、米国産の超長繊維のスーピマコットンをよく使っています。エジプト綿は繊維が細くて長く、ツヤがあって、細番手の糸をつくる時によく使います。高温で乾燥している地帯でよくつくられる品種です。

一方日本は、コットンの産地としては低温で多湿。繊維は太くて短くしっかりしていて、ふくよかな風合いが特徴。ふとんのワタなどとして使うのにも適しています。また、和棉は米綿に比べるととても白く、光を反射する力が強いので、光沢感があってキラキラ輝いて見えます。

日本にワタの種が渡ってきたのは、いまから約1200年前のこと。愛知県西尾市の天竹(てんじく)神社がある場所に、崑崙人(こんろんじん:インド人のこと)の若者が漂着し、ワタの種と栽培方法を伝えたといいます。ちなみに1999年には崑崙人の漂着1200年を記念した大規模なお祭りの開催や、『ガンジー自立の思想』(地湧社)の出版、ワタをめぐる情報とヒトと暮らしの交流誌『わた・わた・コットン』の発行など、精力的に動いた田畑さん。翌年には「和綿の種を守るネットワーク」(現・日本和綿協会)の立ち上げに至りました。

日本で和棉を栽培できる北限は、宮城県仙台市や新潟県などの比較的温暖な地域までで、それ以上北の寒い地域では、ワタが育ってもコットンボールがはじけにくいそうです。そういった地域では、秋になったら家の中にプランターを入れて室内で栽培すればよい、と田畑さん。また、西日本の日本海側など積雪や降雨の多い地方では、秋までにできたコットンボールがうまくはじけず中で腐ってしまう可能性があるので、プランターを室内に入れ、コットンボールがついているワタの木を根っこごと土から引き抜いて、雨のかからない場所で逆さにして吊り下げると、自然とコットンボールが割れて中からワタが出てくるなど、日本各地の気候風土に合わせた栽培方法も研究しています。田畑さんは「日本では、東北地方や日本海側の降雨・降雪量が多い地域で米綿を育てると、秋以降ワタがうまくはじけず、コットンボールの中で腐ってしまう場合があります。本来は気候風土に合った在来の和棉を育てる方がよい」と力説します。

元々ワタは温暖で乾燥した気候の地域で栽培されてきた植物で、四季があり湿気の多い日本での栽培には適さないものでした。しかし、1200年もの長い年月をかけ、日本の気候風土に順応し、繊維の短い独特の「和棉」になっていきました。日本各地で多数の在来種が生まれたものの、現在残るのは、田畑さんが全国から集め、ジーンバンクに保存している40種ほどだそうです。

 

織り機も受注生産で作製している

織り機も受注生産で作製している

いま、日本での自給率は工業的データとしては0%です。日本も明治維新以降、近代機械産業の時代に入り、紡績も機械でおこなわれるようになりました。それまで手間ひまかけてつくられてきた糸や布が、海外から大量に安く綿を輸入し、機械で大量に生産できるようになったことから、手仕事が姿を消し、日本での綿作も衰退していきました。再び日本で綿花の栽培が増えたのは日本への物資の輸入が途絶えた第二次世界大戦末期のこと。そして、戦後の高度経済成長期に、再び外国からの安い綿花の輸入が始まると、日本での綿の栽培は急速に廃れていき、日本各地の様々なタネも失われていったのです。

 

田畑さんの卵は自家配合のエサにもこだわり、極上 のお味

田畑さんの卵は自家配合のエサにもこだわり、極上
のお味

「これからも安く外国からワタを輸入できる状況が変わることも出てくるでしょう。その時に、日本にタネが残っていれば、日本でワタを栽培することができます。衣類をつくる技術が残っていれば、“衣”を自給することができるのです」。生活に必要なものを自給することで、何者にも支配されず、独立、自立した生き方を実現できると田畑さん。最近では、田畑家の二人の小学生のお嬢さんも、田畑さんが古来からある原始機(げんしばた)を再現した織り機で織物をし、自分の身につけるものをつくるようになっています。田畑さんは最近ふとんのワタ入れの技術を習得し、ふとんづくりのワークショップなども開催しています。そして今度は裁縫をはじめ、服づくりに挑戦しているところ。「いい糸をつくると、いいワタがわかる。いい服を着ると、いい服がわかる。縫製も極めれば、ワタづくりの基本に戻っていくのだろうなあ」(田畑さん)

ともに養鶏を営む妻・美智子さんと

ともに養鶏を営む妻・美智子さんと

メイド・イン・アースでは、これからも有機十割和綿“わ”」がまとう美しい光とふくよかな風合いを、より多くの方に伝えてゆきたいと考えています。モノに伝わる、日本の風土と、自立の心。そして、田畑さんからわけていただいた和棉の種を、5月10日のアースコットン(510)デーに合わせ、まき、育てていきます。お客様にも種をお配りし、自分でコットンを育て、そこから衣の自給を考えていく仲間を増やせたら……。和棉の種からつながる、未来づくりへ。メイド・イン・アースではこれからも、田畑さんに学び、様々な知恵をお伝えしていきたいと考えます。

 


▽ 有機十割和綿“わ”

http://madeinearth-store.jp/item/1051.html
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