「LOVE FOR NIPPONにかける想い」(後編)
対談ゲスト:Candle JUNEさん(アーティスト)

<前編はこちらからご覧いただけます> ■核の象徴でもある「平和の灯火」 前田: JUNEさんの被災地支援の思い、そして行動。毎月11日の「月命日」には必ず東北でキャンドルを灯し、ほぼ毎週のように東北の各地に足を運び、現地 […]

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<前編はこちらからご覧いただけます>

■核の象徴でもある「平和の灯火」

キャンドルの灯のように静かに燃える情熱をもったCandle JUNEさん

前田: JUNEさんの被災地支援の思い、そして行動。毎月11日の「月命日」には必ず東北でキャンドルを灯し、ほぼ毎週のように東北の各地に足を運び、現地のニーズを汲み取り、東京では商品企画やコラボレーションなど様々な発信をして……その行動力には頭が下がりますが、何がそこまでJUNEさんを駆り立てるのですか?

JUNE: 2001年にダライ・ラマの呼びかけで、広島県の宮島で開催された『世界聖なる音楽祭』で、「平和の火」を灯すことになったのが大きなきっかけです。キャンドルに火を灯す時に、なぜ火をつけるのか、そこには願いや祈りがあって、消す時には「おつかれさま」という気持ちで、つけることも消すことも自分の意志でやっている、それが自分の仕事です。マグマのような地球が持つ火は別ですが、灯し続ける「平和の火」というのは本来おかしいもの。原爆という、こんなに悲しいことは忘れない、という思いが原点になっています。

自分は、平和の火をわけてもらって自分のろうそくを灯しました。生活の燃料や明かりとして火は、つけたら消すべきだと考えていて、普段キャンドルの灯火を消すたびに、いつか「平和の灯」を消すことを想像します。「平和」は、唯一の被ばく国である日本の最大の売りにできるものだと思います。だから、原発や核の存在は矛盾そのものだと感じています。

自然災害は憎しみに変わりづらい、そう思い始めた時から、これは大地からのメッセージだなと感じるようになりました。人がどう生きるべきか、社会がどうあるべきか、ほかの生命体とどう共存すべきか、歴史も、世界も、地球も、日本の立ち位置を教えてくれました。日本人が最も大地の声を聴くことができるのです。だからいままでの既存の概念をちょっとずつ崩して再構築しましょう、いまそれをやるべき時なのだと思います。

ROADでは毎回地域が小さなお祭りのような雰囲気になる

前田: そろそろ日本人が気づかなければならないという状況のなかで、大飯原発が再稼働しましたが……。

JUNE: 自分は、ともかくいまはまず「福島(第一原発)を一刻も早く止めようよ!」、それだけです。福島原発はいまなお危機的な状況にあります。推進派も反対派も福島を救うためのすべてに専念してほしいです。推進派の方々が「これからも大丈夫です」と言いたいのであれば、一刻も早く福島を安全にすべきだし、原発従事者が全国から福島に向かうべきだと思います。日本のすべての原発を止めて。

そしてなにより、反対派のみなさんもばらばらに行動するのではなく,一刻も早く福島の人々を救ってもらいたいです。反対だけでなく今後どうすればいいのかの統一見解を早く出すべきだと思います。他の原発の問題も大変ですが,自分はとにかく福島のことに集中したいと思っています。

■新しい希望を紡いでいく

前田: メイド・イン・アースでは東日本大震災後、自分たちのできる支援をしようと、震災直後は被災地の助産師さんを通じて現地の妊婦さんや産後のお母さん、赤ちゃんたちにオーガニックコットンの布ナプキンや肌着、タオルなどを送ったり、メイド・イン・アース支援金箱を設置してお客様に募金を呼びかけたり、個人的に石巻市に行きボランティア活動をするなどして、私たちなりに活動を続けてきました。震災から1年数カ月が経過して、被災地支援のフェーズが変化しているのを感じます。今後は、おおぜいの人に大量のモノを、ではなく1人1人に寄り添う活動をしていきたい。メイド・イン・アースの身の丈に合う、自分たちのやれることをやらせていただく、つなげてもらえる、ハブのような役割を持つLOVE FOR NIPPONにとても感謝しています。

宮城県山元町でミサンガづくりのワークショップをおこなう前田剛

「祈りのミサンガ」づくりもその一つだと思っています。カンボジアの元・地雷原でつくられたコットンが、こうして東日本大震災で被災した山元町にやってきて、お母さんたちが手でミサンガを編み、それが仕事になる……。お母さんたちもプロ意識をもって、真剣に関わってくださっています。やるからには、どんどんよいものをつくり、他のアーティストや団体にも広げていきたいですね。

JUNE: 山元町の「祈りのミサンガ」は、絶対にビジネスにつなげていきたいですね。これはもう支援活動ではなく、現地の人々の生活でもあるし、自然な発展が見えていくかな、と。

日本の中でも、地域の特性、歴史背景、文化や特色を掘り起こして、特性として残していけば、産物や観光としてのセールスにもつながる。地産地消で町おこしになります。山元町の新しい産業を掘り起こすこの動きは、本来は外から入っていくものではないけど、震災というきっかけがあったから生まれたもの。山元町という名前だけに、山がきれいになれば海もきれいになるから、山を意識して新たな産物をつくっていく可能性も感じるよ、と呼びかけています。

INORANさんとのコラボレーションで実現した「祈りのミサンガ」(写真提供:LOVE FOR NIPPON)

カンボジアからのコットンには、それを育て、つむいでいくまでの行程と、歴史や文化、それからカンボジアのルーツに至るまで、世界史的な深いストーリーがありますよね。戦争と震災という違いはありますが、種を植え、綿を育て、収穫して、つむぐという関わりを続けることで、現地に仕事が生まれていきます。いずれカンボジアの人にも山元町に来てもらい、国際交流にもつながることを夢見ています。そこから、山元町で綿畑をつくったり、古い織り機が役所にあることから織りの文化を再興してもいい、定期的なワークショップ開催、働きにくるお母さんが子連れでも仕事ができて、子どもたちはのびのび遊べるスペース。それから美味しいカフェ、というように、多業種に渡って発展していけばいいな、と思います。

前田: 山元町でのアクションは、そこに住む人、社会のためになるものづくりやサービスが生まれる、経済の原点に戻っている気がします。素直な、心のままの活動ですよね。最後に、メイド・イン・アースのファンたちに、JUNEさんからのメッセージをお願いします。

「祈りのミサンガ」今後の展開や現地での新しい活動づくりなど、話は尽きなかった

JUNE: このミサンガは、どこかで見かけたら、ぜひ購入していただきたいですね。自分はこれまでキャンドルを買ってくださいとお願いしたことはないですが、このミサンガは強くおすすめです。

LOVE FOR NIPPONとしては、これからもイベントを続けていき、多くの人が参加できる仕組みをつくっていきます。被災地での暮らしの現場での、新しいものづくり、そこから本当のふれあいの場をもっとつくっていきたい。これまで毎週のように現地に足を運び、現地の人たちと関係を築いてきた私だからこそできることがあるのではないかと、自信を持っています。

いまの被災地を知ってほしい。そして、つくり手の顔の見えるものづくり。本来当たり前だったものを、LOVE FOR NIPPONとして実現していきたいと思っています。

前田: ありがとうございました。

【プロフィール】
Candle JUNE(キャンドルジュン)さん
1994年よりキャンドルの制作を始め、ギャラリーやサロンなどでエキジビジョンを開催。LOUIS VUITTONやPRADAなどのレセプションパーティーやファッションショー、野外フェスなどの空間演出に参加。2001年に広島で「平和の火」を灯してから、「Candle Odyssey」と称する悲しみの生まれた場所を灯す旅を始め、2009年にはその集大成となる『Candle Odyssey –the book-』(白夜書房)を出版。新潟中越地震震央地への支援、2010年にはハイチ大震災の被災地支援LOVE FOR HAITIを続け、2011年3月11日よりLOVE FOR NIPPONとして東北への旅を続けている。

LOVE FOR NIPPONのホームページ
http://www.lfn.jp/

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