「メイド・イン・アースという言葉が生まれた日」
福田勝さん(メイド・イン・アースのヴィジュアルアーティスト)

新シリーズ「フレンズ・オン・メイド・イン・アース」では、メイド・イン・アースと深く関わり、土台をしっかり支えてくださる方々や、私たちが話を聞いてみたい憧れのあの人との対談を予定しています。記念すべき第1回目のゲストは、メ […]

  • Tweet
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

新シリーズ「フレンズ・オン・メイド・イン・アース」では、メイド・イン・アースと深く関わり、土台をしっかり支えてくださる方々や、私たちが話を聞いてみたい憧れのあの人との対談を予定しています。記念すべき第1回目のゲストは、メイド・イン・アースにはなくてはならない、ヴィジュアル・アーティストで、絵画家の福田勝さんです!
(聞き手:キタハラマドカ@メイド・イン・アース広報担当)

●台北の市場で浮かんだ「メイド・イン・アース」というコピー

—— 前田さん、けいこさんと福田勝さんは、どのようにして出会ったのですか。
メイド・イン・アースの前田夫妻と福田勝さん(中央)

福田勝: 20年くらいの付き合いかな。広告の仕事がきっかけでした。

前田剛: メイド・イン・アースを立ちあげるずいぶん前、広告の仕事をしていたころのことです。当時、繁華街で大型ビジョンを映し出す広告手法が流行り始めたころで、その仕事を私たちの会社で請け負っていました。そのヴィジュアルモチーフを福田さんにお願いしようということになって、それからのお付き合いですね。

前田けいこ: 私は絵を通じて福田さんの印象が強くなりました。初めて福田さんの原画を見たのは、1993年、青山のスパイラルホールでの個展でした。それまで、品川や新横浜の駅ビルの看板など、広告の仕事を通じて福田さんの作品に接していましたが、原画はそれとはまた違う強烈なインパクトがありました。パステルを何回も重ね合わせてゆく緻密な手法で描かれており、色がきれいで、大胆で……世界で誰もやっていない手法とその表現の強さに圧倒されました。
—— ほどなくして、前田さんとけいこさんはオーガニックコットンに出会いました。最初は、オーガニックコットンを広めていくためのプロジェクトとして関わっていたそうですね。

前田: オーガニックコットンを広めていくためのキーワードを考えたいと思った時に、真っ先に福田さんのことが頭に浮かびました。福田さんご本人特有の、天然で自然体の生き方や、世界を旅している感覚が、オーガニックコットンの存在にとても合っていると思ったからです。ぜひ福田さんにキャッチコピーを考えていただきたい、と。

福田: キャッチコピーづくりを頼まれたのは、確か旅の直前で、夏でした。1カ月ほど台北を旅することになっていました。オーガニックコットンのキャッチコピーは、大きくて、スタンダードで、20年先、30年先に聞いても色褪せない言葉がいいと思っていました。
いろいろな言葉が浮かんでは沈み、の繰り返しでしたが、ある日台北の市場で、ふと、「メイド・イン・アース」という言葉が浮かんできました。人が雑然と交わっている場所で、言葉が降ってきたようでした。その時は蒸し暑く、快晴でした。

—— 福田さんの帰国後、「メイド・イン・アース」という言葉を聞いて、前田さんとけいこさんはどう思ったのですか?

前田: ものすごくいい名前に感動して、それまではプロモーション企画としてどこかに提案していこうと考えてきたオーガニックコットンの事業を、自分たち自身で運営してゆく仕事にしたいと感じるようになりました。言葉の力もそうだし、福田さんのロゴのスケッチ、ラフ画のイメージポスターに描かれた絵などを見て……「これを自分たちの手で世に送り出したい!」と。
けいこ:ほんとうに素敵なブランド名でほかにない名前。ほかにも「100%地球製」というキャッチコピーもあって、福田さんから生み出される一つひとつの言葉やスケッチにものすごく惹かれました。オーガニックコットンを、一部の限られた人のものではなく、メジャーにし得る名前だと思いました。

福田: 当時のオーガニックコットンの世界は、環境問題などに関心の高い人たちに限られているような、どこか理念先行の風潮があったように感じていました。オーガニックコットンを、環境意識の高い人や肌のデリケートな人ばかりに向けるものではなく、もっと普遍的にその価値を広めていくべきだという考えが私たちに共通していました。オーガニックコットンの肌ざわりのやさしさ、やわらかさ、心地よさを、五感を通して知ってもらう。ごく普通の、オーガニックに関心のない人にも広がって、そこから環境やヒト世界で起こっている問題にも目が向かってゆけばと……。2人にはそれができる感性と行動力があったと思います。

—— そうして、ブランドづくりが始まっていきました。
けいこ: 以前にもお話しましたが、原料にオーガニックコットンを使うだけではなくて、普通の工場で当たり前に行われてきた、化学薬品を使った脱脂や漂白、精錬などの工程をすべてやめる、あるいは化学薬品を使わない工程にするという思いをもってくださる工場との出会いを積み重ねてきました。ものづくりがうまくいかなくて落ち込んだりすることがあっても、「メイド・イン・アース」という素敵な名前があるから、何も怖くはありませんでした(笑)。

繊維やアパレルに関しては特に知識も経験もなかった私たちですが、思いや志は大きく持って、がんばっていい製品をつくっていけば、必ず広がってゆくと信じていました。ブランド名って本当に重要だと思いますね。不安を勇気に変えてしまうのですから……。

前田: 分かりやすい名前なんですよね、メイド・イン・アースって。超スタンダードで、誰にでもわかる名前だからこそ、内側、つまり製造工程もしっかりしたい! と思いました。

福田: オーガニックコットンを使っていても、一人ひとりの暮らしは同じではありません。「メイド・イン・アース」という名前は大きく広いですが、その名に負けぬよう、一人ひとりの暮らしのなかに大きく広く根づいてください、という思いがたっぷりこもっています(笑)。
わたしにとって、「家族」のような会社でもある「チーム・オースリー」とは、半歩引いて、客観性をもちながら、地球のあちこちに転がっている何の変哲もない日常や出来事からヒントを得て、メイド・イン・アースに、イキモノとしての温もりを生んでゆく役割なのかな、と思っています。

前田: 福田さんは、まさに天然・自然そのものとも言えるような生き方、発想の持ち主。年齢や立場や職種など、属性を飛び越えて、人として誰とでも対等に付き合えてしまう人ですからね(笑)。

●「1本のライン」に教わったこと。 

—— 福田さんとのものづくりの中で、印象的なエピソードを教えてください。

けいこ: メイド・イン・アースの代表的なアイテムの一つに、液体せっけんがあります。四角い形状をした2リットルボトルのデザインを打ち合わせしている時のこと。スタッフみんなが「これもちやすくていいね」「使いやすいね」「価格も手頃だね」と言っていたのですが、福田さんただ一人が、ボトルの持ち手の近くに入っていたたった1本のラインが気に入らなくて、それがイヤだと。

前田: ほかのメンバーが見ても、とてもシンプルで持ちやすくて、誰も疑問に思わなかったのにね。

福田: そのラインの1本にこだわるかどうかが重要なんだよ(笑)。

メイド・イン・アースのロゴやタグのデザイン、キャッチフレーズなどは、ほぼ福田さんが手がける

けいこ: 確かに、ボトルにラインがなければないですっきりするけれども、既存のボトルで製品化する予算しかなかったので、価格的にも妥協しようかというところで、福田さんだけは頑として譲らなかったんです。オーガニックコットンの素材のことなら妥協はできないけれど、ボトルのちょっとしたボコッとしたラインなのにー! ……と。

商品づくりをしていると、時々、妥協をしなければならない面というのは出てきます。でも、「その1本」を大切にするかどうかが、結果的に大きく物事を左右してくることになるんですね。「1本のライン」を考え抜くかどうか、それはすべてに通じることだと。ブランド設立当初、この福田さんの感覚にとても大きな影響を受けましたし、今でもものづくりの中で中心に据えています。

福田: 何かにこだわる時の基準は、ありません。ただ、昨日やって満足したことでも、今日同じことをやって満足するとは限らない。モノを見る目は毎日コツコツやっていると自然に研ぎ澄まされてゆきます。余分なかざりはいらなくなってくる。

まず、かざりを落としていって、そこにお花を一輪生けてあげようかな、と。そんな感じがいいんじゃないかと、いつも思っています。

けいこ: 福田さんは、その「間」がすごくいいんです。絶妙な、間というか、何かをさしこんでくる天才的な感性がある。

福田: 今、「メイド・イン・アース」という名前が段々と知られ、受け入れられているのをあちこちで感じています。例えば遠い旅先でメイド・イン・アースを知っていてくれたり、とか。たんぽぽの綿毛のように、あちこちに広がっているのがわかります。ものづくりの快感ですが、気も引き締まります。

●旅人、福田勝

—— 福田さんは画家であり旅人であり、アートディレクターでもある……さまざまな顔をお持ちですね。

福田: 30代半ばまでアートディレクターとしてポスターやCMをつくるような広告の仕事を手がけていました。夜中まで仕事をして、高ぶる神経のまま飲みに行ったり踊りに行ったりして朝帰り……そんな生活を10数年続けていました。不健康の塊時代でした(笑)。

東京・阿佐ヶ谷の生まれ育ちです。父は日系ハワイアン2世、母は江戸っ子です。ルーツをずっとたどると南方から流れてきたようです。南の島々や東南アジアなど、亜熱帯の空気に心惹かれるのも、先祖がえりかもしれませんね。

幼いころから絵を描くことが好きでした。幼稚園のころでしょうか、来る日も来る日も絵巻物づくりに熱中していた記憶があります。

母親が教育熱心でお絵描き教室などに通わされましたが、それに対する反発心が大きくて、一時期描くのがキライになりました。

—— アートディレクター時代には、どのような作品を発表されたのですか?

旅について語る福田勝さん

福田: ジェームス・ブラウン(ミュージシャン)のコンサートポスターや、キース・へリング(アーティスト)との新雑誌の広告制作、メキシコ山中に暮らすインディオ一族に登場してもらった西武百貨店のオープン広告などなど、作品づくりに明け暮れていました。バブル時代の広告の世界は、つくり手には、貴重な実験の場でもありました。

—— でも、仕事人としても絶頂期だった30代半ばで、広告の世界から足を洗って絵の道に進まれた。

福田: 1982年から83年にかけてのことでしょうか。2度目のインドの旅でした。バザールを歩いているといつの間にか子どもたちに囲まれていました。よくあることで、いつもは上から子どもたちを眺めてやり過ごすのですが、その時は何の気無しにしゃがみこんで、子どもたちの目の位置まで下りていきました。

子どもたちと目が合った瞬間、私の中で何かが剥がれた気がしました。それまで世の中キチンと見ていなかったと言うのでしょうか、子どもたちの真っすぐな目に圧倒されました。

ゲストハウスに戻ると、無性に絵が描きたくなってきて、トイレの裸電球やら、壁のコンセントやら、ともかく目に入るものを片っ端からスケッチしました。

アートディレクター時代にも、絵は描いていました。でもそこに大きな価値は置いていませんでした。

広告の仕事をやめた後、家族でハワイ島に移住した時期もありました。目の前がジャングルの小集落に家を借りて、毎日、朝から晩まで、絵を描いて過ごしていました。その後、東京に戻ってからも、沖縄、ベトナム、小笠原諸島に通ったりしながらの生活が分母になって現在に至っています。2度目のインド以降の旅は、絵を描く旅へと変わってゆきました。

前田: 福田さんの旅から生まれるものには、大自然と溶け込んでそこからモチーフが生まれてくる面と、一方で、例えばアジアの都市部の裏路地など、人間の内面がさらけ出され、本質がうごめいているところでの、生身の人間とのつながりを描く面とがある。自然を求める福田さん、人を求める福田さん。両面ありますよね。

福田: こんなことがありました。ベトナム・ホーチミンでシクロ(自転車タクシー)の運転手と気が合って、旅の間、毎日一緒に飲み喰いしていました。1995年頃の話です。彼とは偶然に生年月日が一緒だったことがわかった。

互いのそれまでの人生を振り返ると、ベトナム戦争の頃、私は日本で、美大の学生で、ヘッルメットをかぶってデモに行ったり、新宿で、フーテンやヒッピーたちと世を過ごしたりしていました。一方、彼は南ベトナムの兵隊として北と闘い、3年間捕虜になっていました。彼の目には、死ととなりあわせの人生を送ってきたんだな、と匂わせる静かな落ち着きと鋭さがありました。同じ時代に生まれた人間同士、境遇の違いに驚き、それを肴に酒を飲み交す無上……。

旅は出会いでもあると思っています。空気との出会い、風景との出会い、ヒトとの出会い、イキモノとの出会い、実りとの出会い……きりがないですね(笑)。

●くらしに、深呼吸。

—— いま、オフィシャルサイトのトップページに入ると、「くらしに深呼吸」というキャッチコピーが掲げられています。このコピーも福田さんによるものだとか。

福田: 3.11のすこし前につくった言葉ですが、あの日以来、手前味噌ですが、自分の脇にも置いてある言葉です。

対談はとても和気あいあいとした雰囲気で進んだ。長年の信頼関係を感じさせる

キモチが行き詰まると、呼吸を止めていることが意外と多い。そうすると思考も滞ってしまいます。ひと息、待って、アタマをきれいにして、という思いを込めてつくりました。3回真剣に深呼吸すると脳味噌すっきり落ち着きます。

不健康の塊時代を抜け、旅が日常化してゆくなかで、自分なりの体操をはじめました。ヨーガの呼吸法などを参考にしつつ、“鍛えるのではなく、やわらかく”をムネに、試行錯誤をくりかえしながら現在に至っています。毎日やっていると、その時のカラダの状態がより理解できるようになります。かたい、やわらかい、偏っている、滞っているなど……。日々変身中であります(笑)。

けいこ: 確かに、呼吸に神経をもっていくと、頭が空っぽになっていきますよね。
—— 「くらしに深呼吸」。3.11を経験したわたしたちの心に、すーっと染み込んでくる言葉ですね。

福田: ヒトの暮らしがどうなってゆくのか……これから先の時代を思うと、負の要素がとても大きい。人間もふくめてイキモノにもハードな時代だと思います。キモチもカラダも閉ざしてしまいがちですが、そんなときにも、製品づくりのみならず、メイド・イン・アースの役割は大だと思っています。

(了)

*福田勝(ふくだ・まさる)さんプロフィール*
1949年東京生まれ。絵画家。メイド・イン・アースのヴィジュアル・アーティストとして、商品企画やキャッチコピー、デザインなどを手がける。武蔵野美術大学卒業後、アートディレクターを経て創作活動の道へ。絵画のみならずことばや音楽の世界にも取り組む。NHK教育「いない・いない・ばあ」の「カエルのカマタさん」シリーズの原作とキャラクター制作などで知られるほか、著書に『メコンの夢幻』(TOKYO FM出版)、『花絵和歌(はなえなごみうた)』(人類文化社)、『ワタシのひみつ』(地湧社)などがある

各特集最新記事一覧へ